BEATLES世界各国からの収集物たち

世界のいろんな所から我が家にやってきたBEATLESのレコード,テープなどがたまり過ぎたので少しずつ整理していこうかと思っています。

Monkees LP (18) The Best (ザ・ベスト)

 

 

 今回はThe Monkeesのベスト・アルバムのThe Best (ザ・ベスト)です。


1. 日本盤The Best (ザ・ベスト)
  (1) CBSソニー20RS-12 (Sky Blue Arista, Stereo)


 1980年に発売されたベスト盤で,同年デイドリーム・ビリーバーがコダックのCMに使用され,リバイバル・ヒットしたことを示す黄色の帯(通称コダック帯)がついているセカンド・プレスのもの。

 ジャケット表面中央上部にMONKEESとTHE BESTの文字が入り,その下に大きく4人の写真が入っています。なぜ横向きの写真を使っているんでしょう。
 日本盤シングル「すてきなバレリ/タピオカ・ツンドラ」(日本ビクター,SS-1802)のピクチャー・スリーブの写真とは別カットです。


 帯には下記の記載があります。
ザ・ベスト/モンキーズ
●20RS-12 STEREO<ポップス> ¥2,000


話題の”コダック・フィルムCM"ヒット曲!「デイドリーム・ビリーバー
デイドリーム・ビリーバー
モンキーズ|ザ・ベスト
僕の青春のグラフィティ…モンキーズのベスト・ヒット14曲!! 解説:かまち潤


●モンキーズのテーマ
●恋の終列車

●彼女
●デイドリーム・ビリーバー
●すてきなミュージック
●恋はちょっぴり
●スター・コレクター
●アイム・ア・ビリーバー
●自由になりたい
●プリーザント・ヴァリー・サンデー

●ステッピン・ストーン
●灰色の影

●すてきなヴァレリ
●恋の合言葉


 A アリスタレコード
    発売元 日本フォノグラム株式会社


 ジャケット裏面はソングリストとかまち潤氏による解説が掲載されています。帯の裏面は白無地です。

 ジャケット裏面右上にはカタログナンバーの20RS-12が小さく記載され,その下に黒地に白文字で大きくザ・ベスト/モンキーズ MONKEES THE BESTの文字が記載されています。
 その下にソングリストと,かまち潤氏による解説が掲載されています
 最下部には下記クレジットが記されています。
     ARISTA
℗&© 1966, 1967, 1968, 1969 Arista Records, Inc. 6 West 57th Street, New York, N.Y. 10019. All rights reserved. Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.
Manufactured and Distributed by Nippon Phonogram, Co., Ltd. Tokyo Printed in Japan. JASRAC ¥ 2,000


 かまち潤氏による解説は以下のとおりです。
 1960年代のポップス/ロックには数多くの夢と憧れが秘められていた。その夢と憧れを代表していたのが多数のヒット曲を発表した人気アーティスト、特に当時の若い音楽ファンの関心を一手に集めていたアイドルと呼ばれるいくつかのバンドであった。
 '60年代のポップス/ロックに親しんだ音楽ファンは一様に、アイドルという言葉とともに、必ず次の3組のグループを記憶に甦らせる。未だ根強いファンを持つビートルズ、当時の日本の洋楽ファンのアイドルであったウォーカー・ブラザース、そして難攻不落といわれたビートルズからアイドルの座(’67年)を奪った唯一のバンド、モンキーズである。
 この3組のグループのうち、どのバンドがアイドル・ナンバー・ワンだったかということは、個人の思い入れもあるだろうし、これが一番とは断言しかねるが、本場アメリカではビートルズ、モンキーズ、ふた組が'60年代ポップス/ロック界でのアイドルの座を分けあった(’66年~’69年)という見方が妥当とされている。
 ’70年代では久しく遠のいてしまったアイドルというホットな存在、しかし、’60年代にはこのポジションをめぐって激しい競争が展開された。まずその口火を切ったのがビートルズを中心とした若手のイギリス勢、そしてその時からアイドルの座奪還を目標に、アメリカの音楽界、アーティスト達がこぞって猛追撃を開始した。しかし、ヒット曲や人気グループは次々誕生するが、ビートルズからアイドルの座を奪取するアーティストは生まれなかった。
 そうこうして2年、3年と歳月が流れ、時は1966年、RCAレコードとコロムビア映画とスクリーン・ジェムス、3社の間で大変な計画が持ちあがった。まさに前代未聞、ポピュラー音楽史上、後にも先にもこの時ばかりの大計画とは、3社共同でレコード会社を設立、アーティストの発掘、宣伝、全てどこよりもユニークで、スピーディーにやってしまおうということであった。新聞広告でメンバーを募集し、1000人以上ともいわれる若者から4人を選出、一方ではこの時点で彼らのプロモーション計画が綿密にねられ、もはやスターになることは時間の問題とされていたのである。この幸運の4つの椅子をめぐって、厳しいオーディション・テストの結果、選ばれたのがディビー・ジョーンズ、マイク・ネスミス、ピーター・トーク、ミッキー・ドレンツであった。発足早々、コルジェムス・レコードの栄光のスターターとなった彼らはグループ名をモンキーズとし、1966年秋、ポピュラー音楽界に第一歩を印した。


 彼らのプロモーションを一手にうけおったスクリーン・ジェムスは、4人の選出と同時に早々とプロモーション・フィルム制作に着手した。1964年のビートルズ映画『ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!(A Hard Day's Night)』をヒントに、というよりもほんの少しアレンジした形のモンキーズ・プロモーション・フィルムが作られ、彼らのレコード・デビュー以前に、このフィルムは全米はもとより全世界に放映されたのである。
 おなじみビートルズ映画のもじりというおかしさもさることながら、レコードも発売していない、しかも得体の知れない素人グループにこれだけのお金と宣伝をかけるという異例の計画は大きなカケでもあったが、予想通り、いやそれ以上の効果を作り出した。
 こうしてモンキーズ・デビューの足場はかためられ、更にレコード発売とほぼ時を同じくしてNBCテレビのネットワーク番組「モンキーズ・ショウ」が放映された。モンキーズとは一体なんだというファンの関心を集める初歩的なプロモーションから、テレビという身近な媒体を通してモンキーズを常時アピールするという巧妙な計画はいやがうえにも彼らの人気をあおる形となり、デビュー曲「恋の終列車」は発売から約1ケ月そこそこで全米ヒット・パレードの第1位にランクされた。まさにこの時、スターはある日突然生まれる、といったそれまでのポピュラー音楽界の定説をくつがえし、モンキーズは異例のプロモーション、演出によって作られた初めてのスターとなったのである。
 続いて発表された「アイム・ア・ビリーバー」がこれまた全米の第1位を記録、モンキーズはデビュー約半年で2曲のナンバー・ワン・ヒットを作り、アイドルの座に王手をかけた。翌’67年、息つく暇もなくモンキーズの快進撃は日を追って激しくなり、この年彼らは「恋はちょっぴり」を手始めに、「プリーザント・ヴァリー・サンデー」~「恋の合言葉」~「デイドリーム・ビリーバー」を次々ヒット・ランクの上位に送り出し、そして暮れのグループ、シングル・アーティスト部門の人気投票で、遂にビートルズを抜いてナンバー・ワンの座についたのである。
 しかもテレビの「モンキーズ・ショウ」もザ・ナショナル・アカデミー・オブ・テレビジョン・アーツ・アンド・サイエンスの最優秀テレビ・コメディー・シリーズに選出され、モンキーズの人気とともにこの1年間で得られた収入は25万ドルにも達した。
 文字通りモンキーズをナンバー・ワン・アイドルにするというコルジェムス・レコード、ひいてはアメリカン・ポピュラー音楽界の目的は一分の狂いもなく達成された。
 デイビー、マイク、ピーター、ミッキー、4人の個性もさることながら、一流のスタッフによってバック・アップされたこともモンキーズのスピード出世の大きなポイントである。その最たるものはニール・ダイアモンド、バリー・マン、キャロル・キングとゲリー・ゴフィン、トミー・ボイスとボビー・ハート、ジェリー・レイバーとマイク・ストラター、ジョン・スチュアートといったソングライター達の力である。


 今まで話してきたモンキーズ成功物語も非のうちどころがなかったわけではない。デビューからしばらくして、モンキーズは自分達で演奏できないという噂がながれた。彼らのスムーズな成功物語のなかで、この噂こそたったひとつの汚点といえる。というのも後にモンキーズはこの噂を認め、その理由としてデビュー当初はろくに練習する時間も与えられずに、スケジュールにふりまわされ、演奏の大半をスタジオ・ミュージシャンの力にたよっていたと述べている。しかし、決して、我々が演奏できないということではない、とも付け加えていた。
 1968年末、ピーターがグループを去り、3人となったモンキーズの活動はヒット曲もひと頃より少なく、生彩を欠き、一方ではこの頃の彼らこそ評価されるべきだという意見もあるが、人気も下降線をたどりはじめた。そして’69年末、今度はマイクがグループを去り、モンキーズはデイビーとミッキーの2人になってしまった。しかし、その後も活動は続けられ、’71年にはスレッショルド・レコードに移り、以後約2年、何枚かのシングルを発表するが再度成功を手にすることなく、遂にグループは解散した。
 その後、マイクはRCAからファースト・ナショナル・バンドを組んで再出発、ミッキーやデイビーもソロ活動を開始、’75年にはモンキーズ育ての親、トミー・ボイス&ボビー・ハートとミッキー、デイビーが新チーム、ドレンツ、ジョーンズ、ボイス&ハートを結成している。


 曲目紹介に入る前にモンキーズの4人のメンバーの経歴についても簡単に触れておく。
 デビット(デイビー)・トーマス・ジョーンズ(ヴォーカル)
 イギリスのマンチェスターで1946年12月30日に生まれた。グループ参加以前はブロードウェイ・ミュージカルで活躍、’60年早々からアプト、オーディコン、コルピックス・レコードなどですでにソロ歌手としてレコードを発表している。
 ロバート・マイケル(マイク)・ネスミス(ギター)
 1942年12月30日、テキサスのヒューストンで生まれた。レコーディング歴はないが、グループに参加する前からフォーク・シンガーとして積極的に活動、メンバーのなかでも最もその才能を高く評価された。
 ピーター・ハルスタイン・ソーケルン(トーク)(ベース)
 1944年2月13日、ワシントンで生まれた。彼もマイク同様フォーク・シンガーとして活動、元来は学校の先生になることを夢見ていた。
 ジョージ・マイケル(ミッキー)・ドレンツ
 1945年3月8日、カリフォルニア州ロスアンゼルスの生まれ。子供の頃からテレビで活躍、’60年代にはチャレンジ・レコードから歌手としてもデビュー、メンバー中最も芸達者な男である。


■Side-A
1.モンキーズのテーマ(Monkees’ Theme)
 1966年に発表されたファースト・アルバム『The Monkees』(Colgems 101)収録のトミー・ボイス、ボビー・ハートのペンになる作品。
2.恋の終列車(Last Train To Clarksville)
 これもファースト・アルバムに収録されていたボイス&ハート・コンビの作品。『Take A Giant Step』(Colgems 1001)とカップリングで発表、1966年11月5日号Billboard誌ホット100で第1位を記録したモンキーズの初ヒット。
3.彼女(She)
 ’67年に発表されたセカンド・アルバム『More of The Monkees』(Colgems 102)収録のボイス&ハート・コンビの書いた作品。
4.デイドリーム・ビリーバー(Daydream Believer)
 1968年発売の5枚目のアルバム『The Birds, The Bees And The Monkees 』(Colgems 109)収録のジョン・スチュアートの書いた作品。『Goin’ Down』(Colgems 1012)と組み合わせで発表、『Words』に続いて、’67年12月9日号&16日号&23日号Billboard誌Hot100で第1位を記録した。
5.すてきなミュージック(Listen To The Band)
 1969年発売の9枚目のアルバム『The Monkees Present』(Colgems 117)収録のマイク・ネスミスのオリジナル作品。『Someday Man』(Colgems 5004)とカップリングで発表、『Tear Drop City』に続いて’69年7月19日号Billboard誌Hot100で最高63位を記録した。
6.恋はちょっぴり(A Little Bit Me, A Little Bit You)
 『The Girl I Knew Somewhere』(Colgems 1002)と組み合わせで発表されたニール・ダイアモンドのペンになる作品。『(I'm Not Your)Steppin’ Stone』(Colgems 1002)に続いて’67年4月29日号Billboard誌Hot100で最高2位を記録した。
7.スター・コレクター(Star Collector)
 1967年発表の4枚目のアルバム『Pisces, Aquarius, Capricorn &Jones LTD』(Colgems104)収録のキャロル・キング&ゲリー・ゴーフィン・コンビのペンになる作品。


■Side-B
1.アイム・ア・ビリーバー(I'm A Believer)
 ’67年発表のセカンド・アルバム『More of The Monkees』収録のニール・ダイアモンドの書いた作品。『(I'm Not Your)Steppin’ Stone』(Colgems 1002)とカップリングで発表。『Last Train To Clarksville』に続いて’66年12月31日号から’67年2月11日号まで7週連続でBillboard誌Hot100の第1位を記録した。
2.自由になりたい(I Wanna Be Free)
 ’66年発表のファースト・アルバム『The Monkees』収録のボイス&ハート・コンビのペンになる作品。
3.プリーザント・ヴァリー・サンデー(Pleasant Valley Sunday)
 『Words』(Colgems 1007)とカップリングで発表されたキャロル・キング&ゲリー・ゴーフィンのコンビのペンになる作品。『The Girl I Knew Somewhere』に続いて’67年8月19日号&26日号Billboard誌Hot100で最高3位を記録したモンキーズ通算6曲目のヒット曲。
4.ステッピン・ストーン((I'm Not Your)Steppin’ Stone)
 ’67年発表のセカンド・アルバム『More of The Monkees』に収録されたボイス&ハート・コンビの書いた作品。『I'm A Believer』(Colgems 1002)とカップリングで発表、’67年1月14日号Billboard誌Hot100で最高20位を記録したモンキーズ3曲目のヒット。
5.灰色の影(Shades Of Gray)
 ’67年発表のサード・アルバム『Headquarters』(Colgems 103)収録のバリー・マン&シンシア・ウェイル・コンビのペンになる作品。
6.すてきなヴァレリ(Valleri)
 '68年発表の5枚目のアルバム『The Birds, The Bees And The Monkees 』収録のボイス&ハート・コンビの書いた作品。『Tapioca Tundra』(Colgems 1019)とカップリングで発表。『Daydream Believer』に続いて、’68年3月30日号&4月6日号Billboard誌Hot100で最高3位を記録したモンキーズ通算で9曲目のヒット。
7.恋の合言葉(Words)
 ’67年発表の4枚目アルバム『Pisces, Aquarius, Capricorn & Jones, LTD』収録のボイス&ハート・コンビのペンになる作品。『Pleasant Valley Sunday』(Colgems 1007)とカップリングで発表、’67年9月2日号Billboard誌Hot100で最高11位を記録したモンキーズ通算で7曲目のヒット。
  (解説:かまち潤/1979年・記)


 1枚物の歌詞カードが付いています。表面のみに英語の歌詞が印字されています。


 レーベルはスカイブルー・アリスタ。

 レーベル上部には大きくARISTAのロゴが,センターホール左にはSTEREO331/3 SIDE 1の文字が,センターホール右には20RS-12(20RS-12-SA)の文字とJASRACのロゴが配置されています。
 センターホールの下にはMONKEESとTHE BESTの文字が記載されています。
 その下にはソングリストと下記クレジットが記されています。
Unauthorized duplication is a violation
    of applicable laws.
    Arista Records, Inc.
        ⑦
 RIMには次のような記載があります。

MANUFACTURED BY NIPPON PHONOGRAM CO. LTD., TOKYO


 マトリックスは,〄Ⓟ20RS 12SA 113※※※※V(Side A),G20RS 12SBⓈ 111※※X(Side B)。


Side A

  1. モンキーズのテーマ  (2:18)
    MONKEES’ THEME (T. Boyce/ B. Hart)
  2. 恋の終列車 (2:45)
    LAST TRAIN TO CLARKSVILLE (T. Boyce/ B. Hart) 
  3. 彼女 (2:37)
    SHE (T. Boyce/ B. Hart)
  4. デイドリーム・ビリーバー (2:56)
    DAYDREAM BELIEVER (J. Stewart)
  5. すてきなミュージック (2:44)
    LISTEN TO THE BAND (M. Nesmith)
  6. 恋はちょっぴり (2:50)
    A LITTLE BIT ME, A LITTLE BIT YOU (N. Diamond)
  7. スター・コレクター (4:24)
    STAR COLLECTOR (C. King/ G. Goffin)

Side B

  1. アイム・ア・ビリーヴァー (2:45)
    I'M A BELIEVER (N. Diamond)
  2. 自由になりたい (2:24)
    I WANNA BE FREE (T. Boyce/ B. Hart)
  3. プリーザント・ヴァリー・サンデイ (3:13)
    PLEASANT VALLEY SUNDAY (Tork / King-Goffin)
  4. ステッピン・ストーン (2:21)
    (I'm Not Your) STEPPIN' STONE (T. Boyce/ B. Hart)
  5. 灰色の影 (3:19)
    SHADES OF GRAY (B.Mann/ C. Well)
  6. すてきなヴァレリー (2:13)
    VALLERI (T. Boyce/ B. Hart)
  7. 恋の合言葉 (2:50)
    WORDS (T. Boyce/ B. Hart)




  (2) CBSソニー20RS-12 (White Sample, Stereo)


 1986年に再発され,帯にNEWS BEER TV-CF イメージソングと記載されているサード・プレスのもの。

 帯の表・裏両面に赤地に白文字で「見本盤」と記されたステッカーが貼られています。


 帯には下記の記載があります。
ザ・ベスト/モンキーズ
●20RS-12 STEREO<ポップス> ¥2,000
NEWS
BEER TV-CF
 イメージソング


青春のグラフィティが鮮やかに甦る!60年代のポップス/ロック界のアイドル、モンキーズの大ヒット曲「デイドリーム・ビリーバー」
「恋の終列車」「すてきなヴァレリ」他、ベスト・ナンバーがいっぱい!!

デイドリーム・ビリーバー
  モンキーズ|ザ・ベスト


●モンキーズのテーマ
●恋の終列車

●彼女
●デイドリーム・ビリーバー
●すてきなミュージック
●恋はちょっぴり
●スター・コレクター
●アイム・ア・ビリーバー
●自由になりたい
●プリーザント・ヴァリー・サンデー

●ステッピン・ストーン
●灰色の影

●すてきなヴァレリ
●恋の合言葉


 ARISTATM
発売元 日本フォノグラム株式会社
このレコードは権利者の許諾なく賃貸業に使
用することを禁じます。また無断でテープその
他に録音することは法律で禁じられています。

●直射日光、高温、湿気、ホコリ等は避けてください。
●積み重ねたり、傾けて保管しないでください。
●古い針のご使用は、盤を痛め、針とびを起こす原因と
 なります。


 裏面は上記(1)と同じです。


 1枚物の歌詞カードも上記(1)同様に添付されています。


 レーベルはホワイト・サンプル・レーベルです。

 上部には何の記載もありません。


 センターホール左には下記の記載があります。
 見本盤
STEREO
 331/3
 SIDE 1


 センターホール右は以下のとおりです。
20RS-12
(20RS-12-SA)
  JASRAC


 センターホール下の記載は次のようになっています。
     MONKEES
  THE BEST


 その下にはソングリストと次のクレジットが記されています。
Unauthorized duplication is a violation
    of applicable laws.
    Arista Records, Inc.
        ⑦


 マトリックスは,〄Ⓟ20RS 12SA 113※※※※+ R(Side A),G 20RS 12SBⓈ 112※※(Side B)。





  (3) CBSソニー20RS-12 (Sky Blue Arista, Stereo)


 帯がなく,いつ発売のものか分かりませんが,マトリックスが異なっています。
 〄Ⓟ20RS 12SA 114※X(Side A),G20RS 12SBⓈ C11※※(Side B)。




【本日分】
The Monkees
LP(日本盤)3枚



【累計】
1000アイテム



詳細は

を参照ください。




LP(アメリカ盤)40枚
LP(アルゼンチン盤)68枚
LP(イスラエル盤)13枚
LP(イタリア盤)39枚
LP(インド盤)4枚
LP(ウルグアイ盤)48枚
LP(エクアドル盤)14枚
LP(オーストラリア盤)44枚
LP(オランダ盤)24枚
LP(カナダ盤)13枚
LP(韓国盤)4枚
LP(ギリシャ盤)31枚
LP(グアテマラ盤)17枚
LP(コスタリカ盤)1枚
LP(コロンビア盤)22枚
LP(ジャマイカ盤)2枚
LP(スウェーデン盤)6枚
LP(スペイン盤)11枚
LP(台湾盤)34枚
LP(チェコスロバキア盤)5枚
LP(チリ盤)21枚
LP(デンマーク盤)14枚
LP(ドイツ盤)18枚
LP(東南アジア盤)2枚
LP(トルコ盤)7枚
LP(ドミニカ盤)1枚
LP(ニカラグア盤)11枚
LP(日本盤)12枚
LP(ニュージーランド盤)31枚
LP(パナマ盤)1枚
LP(ハンガリー盤)3枚
LP(東ドイツ盤)4枚
LP(フィリピン盤)7枚
LP(ブラジル盤)23枚
LP(フランス盤)49枚
LP(ブルガリア盤)1枚
LP(ベネズエラ盤)51枚
LP(ペルー盤)23枚
LP(ボリビア盤)1枚
LP(ポルトガル盤)7枚
LP(南アフリカ盤)45枚
LP(南ローデシア盤)10枚
LP(メキシコ盤)23枚
LP(ユーゴスラビア盤)6枚
LP(ロシア盤)9枚
EP(オーストラリア盤)22枚
EP(ニュージーランド盤)12枚
EP(ブラジル盤)2枚
EP(南アフリカ盤)1枚
12インチ(コロンビア盤)1枚
12インチ(ブラジル盤)1枚
シングル(オーストラリア盤)2枚
シングル(ギリシャ盤)14枚
シングル(グアテマラ盤)1枚
シングル(コスタリカ盤)2枚
シングル(デンマーク盤)5枚
シングル(トルコ盤)9枚
シングル(ニカラグア盤)5枚
シングル(南アフリカ盤)8枚
オープンリール(イギリス盤)18本
8トラックテープ(イタリア盤)3本
8トラックテープ(オーストラリア盤)2本
8トラックテープ(ギリシャ盤)1本
8トラックテープ(ベネズエラ盤)6本
4トラックテープ(アメリカ盤)3本
カセットテープ(オーストラリア盤)4本
カセットテープ(チリ盤)16本
カセットテープ(フィリピン盤)2本
チャート誌(アメリカBillboard誌)1冊




The Monkees 40枚
LP(アメリカ盤)2枚
LP(アルゼンチン盤)2枚
LP(イギリス盤)6枚
LP(イタリア盤)2枚
LP(オーストラリア盤)2枚
LP(オランダ盤)1枚
LP(コロンビア盤)1枚
LP(ドイツ盤)1枚
LP(日本盤)21枚
LP(ニュージーランド盤)1枚
LP(メキシコ盤)1枚





※全てを揃えているわけではありませんので,ご容赦を。また,写真の解像度が悪くて申し訳ありません。

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